2017_03
01
(Wed)00:00

直感が感知した調和 

バッハ ゴールドベルグ変奏曲

 グレン・グールド(ピアノ)

 私たちはこの曲で、基礎低音の処理としてはおそらく音楽史上最も輝かしい実例に接するとはいえ、私の意見では、バッハが進んで変奏曲形式を採用した意図の根源は、組織的構成面への興味ではなく、感情の交流にあったのである、と考える。ここでは主題は単なる外的名辞ではなく内的な根源であり、しばしば回帰するバッサカリアは全曲の中心軌道の上に集中的な焦点をもたらすのである。
 換言すれば、これは始まりをも終わりをも考えない音楽、いかなるクライマックスをもいかなる解決をも持たない音楽、ボードレールの恋人たちの如く「そよ風の翼の上に軽やかに憩う」音楽なのである。したがってこの曲は、直感が感知した調和、技巧と吟味とから生まれた調和を持っており、しかもこの調和は、卓越した技術的手腕によって培われたものであり、芸術の領域ではきわめて稀なことであるが、可能性の絶頂に欣喜する無意識的な構想のヴィジョンを通して私たちに掲示されるのである。


                               グレン・グールド
                             (掛下栄一郎訳)




 「直感が感知した調和」という言葉に、ひどく惹かれてしまった一日だった。熟考していきついたものではなく、「こうだ!」と瞬間的に思ったところに合わされた、音の心地よい響きなのだった。
実はいろいろな演奏のゴールドベルグは所有しているのに、結局、何度も繰り返して聞くものはグールドさんなのであった。ケンプ氏の演奏も、最近通して再び聴いたけれど、子守歌のゴールドベルグが忠実に脳を回ってくるのだ。
1955年のゴールドベルグはあるはずなのに見つからず、買いに走っていただき、二枚目を入手して聴いている。1981年の完成されたグールドバッハではないけれど、デビューの若々しい鳥が歌うようなゴールドベルグも、春に向かって素敵に心に吹き込んでくる。自然の中で息づいている動物や鳥が唄うような、恋人が会話するような、そんな調和のとれたこの曲が生活の中でのテーマソングだと信じている。

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2017_02
25
(Sat)19:43

タンスマンを弾く少年

Alexanre Tansman
TRYPTIQUE
 


タンスマンのトリプティークを弾いている少年がいる。
ゴルシュマンのCDやらなんやらを毎日かけているので、楽譜を入手する前にヴァイオリンの練習をしているのだった。
耳コピーでがんばって弾いているので、弦をドミナントからオブリガートにしてあげることにした。
いろいろあるんだろうけれど、弾く悦びがあるうちは弾いていてほしい。聴く喜びが出来て嬉しいから。
こんな曲がよく弾けるものだと、少し羨ましい。

2017_01
30
(Mon)07:00

アーノルド・ローベル:ふたりはともだち

ふたりはともだち

アーノルド・ローベル著 三木卓訳

おてがみ


(がまくんは、お手紙をもらったことがありません。とても悲しい気持ちです)

かえるくんは窓から覗きました。かたつむり(郵便やさん)はまだやってきません。
「でもね、がまくん。」かえるくんが言いました。
「今日は誰かが君にお手紙くれるかもしれないよ。」
「ばからしいこと言うなよ。」がまくんが言いました。
「今までだって誰もお手紙くれなかったんだぜ。今日だって、同じだろうよ。」
かえるくんは窓から覗きました。かたつむりはまだやってきません。
「かえるくん、どうして君ずっと窓の外を見ているの。」がまくんが尋ねました。
「だって、今僕、手紙を待っているんだもの。」かえるくんが言いました。
「でも、来やしないよ。」がまくんが言いました
「きっと、来るよ。」かえるくんが言いました。
「だって、僕が君に手紙出したんだもの。」
「君が?」がまくんが言いました。「手紙に何て書いたの?」
かえるくんが言いました。「僕はこう書いたんだ。『親愛なるがまがえるくん。僕は君の親友であることを嬉しく思っています。君の親友かえる』。」
「ああ、」がまくんが言いました。「とてもいい手紙だ。」
それから二人は玄関に出て、手紙が来るのを待っていました。
二人共とても幸せな気持ちでそこに座っていました。


ふたりはともだち [ アーノルド・ローベル ]

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★がまくんは、ちょっと面倒くさい男である。短気で気難しく本当に世話がやける。
「誰からも手紙が来ない」と言って騒いだがまくんを、「僕がいるのに、いったい誰から手紙がほしいんだい?」と怒ってもいいくらいだ。でも、かえるくんは、いつも穏やかだ。大事な友達を心配する優しさは、押しつけがましくなく、ふんわりと柔らかい。がまくんの、自由な心を決して抑制しないのだ。それは、かえるくんが、がまくんのことを本当に好きだからなのだろう。
自分自身が書いた手紙を、がまくんと一緒になって待っている時間は、傍目から見れば滑稽に見えるだろう。でも、愛情は仕事や義務ではないのだから、無駄な時間も大切なのだ。
なんとなく幸せにひたって遠くを見つめる二人は、きっとずっとずっと仲良しなんだろう。
2017_01
08
(Sun)00:00

バッハ:9つの小プレリュードより ト短調 BWV930

バッハ 小プレリュードと小フーガ集 他 より
9つの小プレリュードより
ト短調 BWV930


ピアノ グレン・グールド


 バッハが長男の教育用に書いた「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」に収められているもので、ここではそのうちから6曲が演奏されている。いずれも小品だが曲想は豊かで、BWV924やBWV926のような分散和音型、BWV925のようなインベンション型、活発なBWV927、落ち着いたBWV928、情緒的なBWV930というように変化に富み、バッハがここまでさまざまな書法と様式を教えようとしたことがわかる。ケーテン時代後期の1720年からライプツィヒ時代初期1725/1726年頃の作とされるが、BWV925とBWV927は長男の作品かもしれない。なおBWV930は、バッハが指使いを記入した数少ない曲のひとつである。(角倉一朗)


★この曲は、とても心情に訴える曲です。音の構成はさすがに音楽の神様で天才ですが、練習曲であっても、そこにストーリーがあるところが素晴らしいところです。

人生なんて何も思い通りになんてならない。自分の思いで何かが変わるわけではないから、人を騙したり、誤魔化したりしないで、とにかく真面目に頑張ろうと、ずっと思っていた。でも、最近そう思わなくなってきた。
思い通りにならなないとかではなく、人生の自然な流れを、逆らわずに自分の行く方向性を持って、てくてく歩いて行こうかな。そんな感じ。

仕事始めは2日からだったのだけど、音訳のボランティアがあったりして、心の中が気ぜわしい年末年始だった。
でも、穏やかな時間もとったし、いろいろな人と触れ合って、温かな年末年始でもあった。

流れに自然に乗って進んでいる気がする。
人生はドラマティック。いつの間にか、ドラマになっているんだ。
この曲BWV930は、練習曲を超えた、素晴らしいショートストーリーだと思う。



 
2017_01
07
(Sat)00:00

グールド・ジュリアード弦楽四重奏団/シューマン:ピアノ四重奏曲


シューマン:ピアノ四重奏曲 変ホ長調 作品47
グレン・グールド (ピアノ)
ジュリアード弦楽四重奏団

 ロバート・マン(1stVn) イシドア・コーエン(2stVn)
 ラファエル・ヒリアー(Va) クラウス・アダム(Vc)

1965年4月


 

グールドとコンビを組んだピアノ四重奏曲は五重奏曲の上をいく名演だ。ノン・レガートでごつごつした響きを作るグールドの個性的なタッチが、音楽に印象的なアクセントとなっている上に、ジュリアードの表情的な陰影がなんと美しい風景を描き出していることか!
第一楽章のエネルギッシュな進行には、楽想が次々に変化していく特有の豊かな含みがあるが、グールドとジュリアードのメンバーが描き出すものはまた深く豊かな陰影に彩られて、千変万化する風景だ。アンダンテ・カンタービレのしっとり濡れてメランコリックな風合いがじいんとしみる。
そして終楽章の猛烈な推進力と爆発的に破裂するパッションがエキサイティングなこと!
「ジュリアード弦楽四重奏団は現代音楽だ」などという安易な先入観は木端微塵に吹き飛んでしまうのである。 (2014年)

 松沢 憲 「表情的な陰影と爆発的なパッション~ジュリアード弦楽四重奏団、黄金期の名演」






ピアノ四重奏曲 変ホ長調 作品47。グールドと誰かの共演を聴くときは、心構えが必要だ。グールドがあまり評価していない作曲家だと、やりすぎと思える演奏だったり、相手によっては自分の思い通りに実験心が湧いたりして摩訶不思議な物が出来上がったりするけれど、それはそれで楽しい。ジュリアード弦楽四重奏団とグレン・グールドの共演は、同じ波長ではないのかもしれないが、シューマンを作り上げることに同意し成功だったものだと思う。ジュリアード弦楽四重奏団は、多彩な音の枝を次々と伸ばしていくし、グールドは、いつものグールドらしい演奏だった。好きなのバッハを弾くように、ノン・レガートでコツコツコツコツと、鍵盤を生き生きと叩いている。しかし、バッハとは違う味わいのあるコツコツ感であった。とても不思議な音で、すべての楽器が浮いているような、逆に全てが重なりあっているような、味わったことのない迫力のあるカッコいいシューマンだ。惹きこまれてしまう。そして、この三楽章を聴くと意味なく泣けてしまうのだ。
最近は、この曲を車でかけると、運転をしていながら「胸がチクチク痛いよ~。」と言う方がいる。このCDを、探して来てくれたのだった。素晴らしい芸術や小さなあれこれまで、共感できる嬉しさを実感している。

毎日を、優しい時の流れを、大切にしようと思う。

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2016_12
15
(Thu)00:00

山口 瞳:才能について

 (中公文庫)    禁酒禁煙 より

 才能のない人間はいない。人間は、誰でも、その一人一人が天才である。しかし、自分の才能がどの分野に向いているか気づかないことがある。
 私は、才能については、そんなふうに考えている。その考えが正しいかどうかわからないのだけれど、そう考えれば気が楽になる。人間だれでも使い道があるといったように。
 某週刊誌の身の上相談を一年間連載したときにも、そう答えてきた。ファッション・モデルになりたいという娘さんの投書に対して、もしあなたがファッション・モデルに向いているとすれば周囲の人間が放っておかないはずだ、そうでないとすれば諦めるよりほかはないと答えた。
 (省略)
 小説家志望の場合も、ファッションモデル志望と同じであって、あいつは書けるとなったら、まわりの人間は黙ってはいない。
 たとえば古山高麗雄さんの場合で言うと、私は若いときに彼と同じ会社で机をならべていたのであるが、私の印象は愛すべきナマケモノであった。ところが世のなかには具眼の士がいるのであって、40代の半ば過ぎてから、やいやい言われて、むりやりに小説を書かされてしまった。
(省略)
 だから、うずもれてしまう才能というものは無いと考える。「錐の嚢中に処るが如し」である。これは私の推測なんであるけれど、ほぼ間違いがないと思う。そういう点で、世間というものは捨てたものではない。世の中は案外に公平に出来ているものである。

 

★これは一概にそうとは言えないし、実際にうずもれてしまう才能はあるのかもしれないけれど、こう考えていた方が楽に生きられると思う。才能がその職業に適していないのに、しがみついて「自分は才能があるのに認められない」と一生考えて生きていくことは、短い人生で損をしてしまう気がします。
 
向いていること、向いていないことはあるし、いくら頑張っても報われないこともたくさんあります。努力すれば救われる訳ではないのだけど、努力段階でも楽しめるのなら、それは向いている道なのかと思う。
ようやく資格の勉強を終えたところなのに(まだ、受験はしていない)、また新たにお勉強したくなってしまった。今度は勉強のスタート地点に立つことから思案しないといけないのだけど、興味があるので調べてみよう。
「この年齢にしては壮大な夢だなぁ。」と、女子大生に言われました。
人生大変だけれど楽しもう。

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禁酒禁煙 山口瞳 著 /出版社:中央公論新社
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2016_12
12
(Mon)00:00

J.S.バッハ:マタイ受難曲BWV244 憐れみ給え、わが神よ

★12月には必ず紹介の、この曲。

J.S.バッハ マタイ受難曲BWV244 より
第47曲 アリア 憐れみたまえ、わが神よ


 


ミュンヘン少年合唱団 ミュンヘン・バッハ合唱団 ミュンヘン・バッハ管弦楽団
指揮:カール・リヒター


この素晴らしく敬虔な美しい曲を、水牛楽団、高橋悠治さんが、ピアノ編曲しております。
高橋悠治の、冷たくも思われるピアノのタッチが、この旋律にぴったりくるのです。
なぜ、こんなに素敵なピアノ版が、世間で弾かれないのか不思議でならないのです。

Yuji Plays Bach より
主よ、あわれみ給え BWV244(編曲 高橋悠治)

 

高橋悠治 編曲・ピアノ
http://www.hmv.co.jp/product/detail/717594






★今日はクリスマスリースを作りました。
お休みだったのです。
山で一緒に拾った松ぼっくりや、栗や団栗を茹でて、アクリル絵の具を塗って、
木工用ボンドで貼り付けて、なんとか完成しました。
今年ももうすぐクリスマスがやってきます。
クリスチャンではないけれど、クリスマスの音楽や、クリスマスの用意など
無宗教でもイベントとして楽しみです。
クリスマスはケーキを食べる日です。

リース
2016_12
08
(Thu)00:00

木島俊介:女たちが変えたピカソ

女たちが変えたピカソ
木島俊介 著
中公文庫


貴重なのは芸術家が何をするではなく彼が何者であるかだ ピカソ

私は恋愛の情にかられて仕事をする   ピカソ

今やわれわれは、生まれおちると同時に、人によって救われる以外、生きていく道のないことを知っている。自然も社会も救いとはならず、むしろわれわれはそこから分離していて孤独であり、やがて孤独のうちに死ぬのであろうことを知っているのである。ただ人のみが、そこからわれわれを救い出してくれるのだ。そして人が人を救うのは愛によってのみなのである。では愛とは何か。月並みなことではあるが与えること以外ではありえない。男と女の間の愛が最も端的に物語っているように、オルガスムというほとんど死に近い贈与の瞬間とその感覚の持続のなかで、人は、自分自身の充足、費消、生の悦楽の感情を経験する。バタイユはそれを「小さな死」と呼んでいた。ピカソが「恋愛の情にかられて仕事をする」と表現したのは、おそらくこの次元におけることの悦楽についてなのである。

女たちが変えたピカソ [ 木島俊介 ]

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この文章を書いた方も男性だし、ピカソはスペインの闘牛ミノタウルスだし、女性の目線ではないので何ともはや~なのだけれど、面白い本でした。ピカソの描く作品の一枚一枚は、想像の世界ではなく彼の『日記』だということ。「スペインでいわれているように、愛は言葉ではないんだ。行いで示される。」と言ってはばからないピカソ。犯罪になっていないところは、彼の魅力のおかげであって、どの恋愛もお縄ギリギリセーフだったのではないかと思われる。ピカソが憎めないところは、全て本気の恋愛だったところだろう。「軽い遊び」とか気障なところはなく、常に全力投球。それが、女性にとっては交通事故のような出来事であっても、情熱と才能の塊には参ってしまったんだろう。

そんな恋愛遍歴のピカソが年をとり、この写真のフランソワーズ・ジローに逃げられてしまう晩年。フランソワーズは凛としていて美しい。自分自身も、画家としての才能と自信があるからだろう。

自由にさせて欲しいけれど、自分のことだけを見て欲しい…というピカソ。綺麗な服を着て平和なテーブルに座るより、ボヘミアンの服装で夜の街に出掛けたい…ピカソ。颯爽と歩くフランソワーズ姫の一歩後ろから、仕えるように傘を差しかけるピカソの写真がとてもいい。
わたしも強く凛とした人になりたい。
2016_12
04
(Sun)00:00

つげ義春:蒸発旅日記

新潮文庫 平成7年発行
新版 貧困旅行記より


 それは昭和43年の初秋だった。行先は九州。住みつくつもりで九州を選んだのは、そこに私の結婚相手の女性がいたからだ。といっても私はこの女性と一面識もなかった。ニ、三度手紙のやりとりをしただけの、分かっているのは彼女は私のマンガのファンで、最近離婚をし、産婦人科の看護婦をしているということだけだった。
「どんな人かなア」と私は想像してみた。
「ひどいブスだったら困るけど、少しくらいなら我慢しよう」と思った。 とにかく結婚してしまえば、それが私を九州に拘束する理由になると考えたからだ。そしてマンガをやめ、適当な職業をみつけ、遠い九州でひっそり暮らそうと考えた。「離婚をした女なら気がらくだ」彼女はきっと結婚してくれるだろうと私は一人決めしていた。

 ★この様に、つげ先生は一般的なひどい男です。ヒモ希望なのに堂々としていらっしゃるところが、なんとも素晴らしい。(のか?)
「ねじ式」「無能の人」などなど、トラウマになりそうな漫画の数々を生み出したつげ先生。
全てわたしの青春の1ページなのです。
この本の中の写真は、昔の温泉地の活気のある寂しい風景がよく表れています。地方の温泉は本来『豪華ツアー旅行』や、『秘湯探しの旅』など明るい気分で行くところではなく、ひなびた物哀しいところでした。
写真だけでも昭和時代の地方の暮らしが見え、見応えがあります。
文章は…まあ、こんな感じ。

2016_12
01
(Thu)00:00

重松清:きみの友だち

きみの友だち より
かげふみ
新潮文庫

重松 清 著


「あのね、うつむいてから顔を上げるでしょ、その瞬間って、けっこう笑顔になってるの。なにも考えずにパッと顔を上げたとき、ほんとに、笑顔が浮かんでるわけ」
 やってみなよ、とうながされた。
 ほんとうだ。しばらくうつむいてから顔を上げたブンは、ふわっと緩んだ微笑みを浮かべていたし、きみが顔を上げたときにも、ブンは「へえーっ、姉貴すげえ、ほんとじゃん」と言った。
 理由があった。うつむくと自然に息苦しくなって、顔を上げたときに空気を胸に送り込もうとする。そのときに少しでも多くの息を吸うために頬がゆるみ、笑顔になる。
「だから、笑いたいときには、うつむけばいいわけ。自分の影を相手にして、かげふみしてればいいんだよ。そのうちに息が苦しくなって、顔を上げたくなるから」
 お姉さんは、きみを見ていた。



 

★中学生は大変だ。
バスや電車通学の子は、毎朝7時前には自宅を出る。学校に着いたら、ホームルームの時間までは読書。しかも、身体測定などの待ち時間も読書。友達と騒いでなんかいられない。
授業は、初めて聞く言葉ばかり。英語なんてチンプンカンプン。勉強ができる子はそれなりに難しいところに取り組むだろうし、あまり出来ない子だって基礎勉強に必死だろう。お昼ご飯の時間は、なんと15分間だ。せめて30分にしてあげたくなる。
授業が終わったら部活動。運動部も大変だし、文化部だって大変だ。初めて筋肉痛をいうのを知るのは、中学の頃かもしれない。終わるともう6時半。暗くなっている。
塾の日は、塾に荷物をおろして、コンビニで肉まんやおにぎりを食べる。塾の授業に向かう頃なんて、ヘトヘトでペコペコで疲れのピークだろう。終わった頃は、夜の10時。親が迎えにくる家庭もいれば、幼い弟妹がいる家庭の子は自力で帰宅する子もいる。
しかも、まだ幼い人間関係が渦巻いている。まだ、自我が強いから、きつい言葉で相手を傷つけたり傷ついたり。
中学生だから、親に言うもの気恥ずかしい。心も身体も筋肉痛。

どの子もニコニコして見えるけれど、悩みを抱えている子がたくさんいるのだろう。

うつむいたっていいから、時には空を見上げてみよう。
きっと君は、前と変わっていないよ。
2016_11
24
(Thu)00:00

遠藤周作:人生、ぐうたらに徹すべし

人生、ぐうたらに徹すべし  より

言葉のちから

遠藤周作 著
河出書房新社



 私自身もむかし『沈黙』という題の小説を書いたことがあった。
 しかし沈黙とは普通、解釈されているようにナッシングの世界とは限らないのだ。私は最近茶の稽古に通っているが茶室の静寂はもうひとつの世界からの語りかけが聞こえるということが前提となっている。日本がの空白は奥深いものの表現にほかならない。同じように「沈黙」の背後にはそれを聞く耳を持った人間ならば、きっと聞くことのできるXがひそかに息づいている筈だ。
 我々は言語にならぬものは空虚であり、何もないと錯覚している。しかし言語のもつ本質的な部分はまるで枯山水の庭石のように地中深く埋められているのであり、井筒先生はこれを言語アラヤ識と表現された。そのアラヤ識の部分が存在と本質的に関わっているのであろう。
 話は変わるが「老い」とは、こうした眼にはすぐには見えぬもの、耳にはすぐに聞こえぬもの、言語では表現できぬものに心かたむいていく年齢だという気がする。
(省略)
 それとともに言葉を使って何かを表現する「小説家」がこの言葉の力の届かぬものをどう言いあらわせるのかが気になって仕方がない。詩人ならばとも角、散文家にとってはこれが大事な問題だからだ。

人生、ぐうたらに徹すべし [ 遠藤周作 ]
価格:820円(税込、送料込)



花鳥風月
以前の職場の大先輩が「花鳥風月とはよく言ったものだな」と言っていた。
その方はマスコミ関係でずっと働いていて、趣味は野球。早口でせっかちで神経質で、仕事でもとにかく細かい。その先輩が、急にそう言った。
「本当に年をとると、花、鳥、風、月の順番に感じるようになるんだよ。若いころは振り向きもしなかった花を見ると、本当に綺麗だなとしみじみ思うな。静かな時間が多くなった。俺も年をとったんだなぁ。」と、言っていた。
沈黙の裏側。静寂と背中合わせ。
わたしももう少し年を重ねれば、言葉が届かない世界を感じるようになるのかな。まだ、若いのかもしれない。聞こえる言葉や見える物を感じたままにしか表現できないし、そこで思ったことを直接的にしか言えない。ワビサビワサビもわからない。

「言葉のちから」というタイトルで、こんな素晴らしい文を生み出す遠藤周作先生。これは、狐狸庵的エッセイなのだけど、軽い文章を書こうとしても、豊富な知性と高い品格は隠せないのだろう。

2016_11
22
(Tue)20:21

グールド/バッハ:シンフォニア No.1 BWV787

グールド/バッハ:シンフォニア No.1 BWV787

「PASOさんの弾くシンフォニアは、二声にしか聞こえない。」との指摘でした。
本日のピアノレッスン。
「ストレットで。重ねて、畳みかけて、デットヒートでいきましょう。」

ストレット 【ストレット】 stretto 〔伊〕
せき込んで。緊迫して。
stretta(ストレッタ)ともいう。
元は「狭苦しい」「締め付けられた」「緊迫した」の意味。
また次の場合をいう。
(1)フーガで主題の入りが、たたみかけるように重なっていくこと。
(2)曲のコーダなどで、テンポを速め高揚させた部分。

3つのストーリーを交互ではなく、重複しながらも、どの線も忘れずに生かして弾く。
ソプラノ→アルト→バスと出たり、アルト→ソプラノ→バスと出ることもあるが、
バスが出て「これは、シンフォニアなんだ。」と確認することが出来る。
バスは大事。

楽譜を読む時に、楽譜にとにかく書きこもう。
それで、曲が明確に理解出来るから。

これが、今日のレッスン内容。
3つの物事を、全て大切に、重複してもどの線も鮮明に。
まるで、人の生活みたい。
頭を研ぎ澄ませれば、大事なものを全ておろそかにせずに、美しく響かせることが出来るのだろうか。
目指せ4声!
まずは3声!



2016_11
15
(Tue)00:00

草野心平:落葉

落葉

草野 心平


言葉なく。
鰯雲のまぶしい日には。
そよ風にのって華やかに。
唐松のさびた縫針が言葉なく。
ししししおちる。
おちて重なり。

ズミやカエデはひらひらひらひら。
言葉なく。

晴れた日の天はセルリアンブルー。
曇は鉛。
明暗の縞模様になって秋はふかまる。

林のなかを。
時間がいそぎ。
半年生きたもみじ葉たちは。
最後の別れを告げようとする。

言葉なくそして未練なく。
枝々に別れを告げて地に落ちる葉っぱたちの。
未練ないその。
樹木の倫理の当然さ凛々しさ美しさ。

透きとおった沈黙の深みから沸く。

天然の。
金の竪琴。


 


★毎日、いろんなことがある。
どの会社にも、どの学校にも、どんな仕事にもいろんなことがある。
男の人にも、女の人にも、子供にも、お年寄りにも、
どんな職業の人にも、かなしいことも、楽しいこともある。

みんなといると嬉しいけれど煩わしいし、ひとりでいると落ち着くけれど寂しいし、
人間はなんて我儘なんだろうね。

今日は、空を見上げると、とてつもなく青い色をしていてビックリ。
空色よりとても青い空。
明るい季節の終わりに、とびきりの色を見せてくれているんだね。

雨の日も、晴れの日も、毎日一度は空を眺められるといいね。

2016_11
10
(Thu)20:26

ポーラ美術館コレクション モネからピカソ、シャガールへ

Masterpieces of the Pola Museum of Art
: From Monet to Picasso and Chagall
 


箱根に一度でも行ってみたいと、憬れて何年たったでしょう。
箱根には『箱根彫刻の森美術館』や『岡田美術館』等たくさん美術館があるけれど、一番行ってみたいのは、やはり『ポーラ美術館』。

隣県の宮城県美術館で、ポーラ美術館展をすると聞いてウキウキしていました。ポーラ美術館所蔵のたくさんの作品。モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン、そしてピカソ、シャガールまで展示されるんですからね。職場内で行った方の話を聞いて、たいへんに焦っていましたが、閉展間際の、11月10日にようやく行ってまいりました。
 
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クロード・モネ 《睡蓮》 1907年 ポーラ美術館

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パブロ・ピカソ《花束を持つピエロに扮したパウロ》1929年 ポーラ美術館

満足で、大満足ではあったのですが、もっと見たい気持ちにもなりました。これは不満足というのか、欲が深くなったというのか。
「やっぱり、いつかは箱根のポーラに行くぞ!」という気持ちが強まりました。
もっともっと、ゴッホやピカソを見たいなと思ったのです。

宮城県美術館に行ったのは、はじめてでした。
外観はタイルがたくさん敷き詰められていて、空間がとても素敵な建築です。
彫刻もたくさん置いてあり、外を歩くのもうきうきした気分になりました。





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2016_11
06
(Sun)22:00

保土谷化学創立100周年記念コンサート(コバケンさん)

 保土谷化学工業の創立100周年記念コンサートとして、日本フィルが郡山市民文化センター来るという情報をつかんだのはたしか7月。チケット発売日にポチしたのは暑い日だった気がする。
なぜ、即ポチしたのかというと
①土曜日の昼過ぎに開演だったから
②福島の誇る炎のマエストロ小林研一郎さんだから
③千住真理子さんのヴァイオリンを聴いてみたかったから
暑かった夏が終わり、秋になり、枯葉も落ちてようやく11月5日になりました。

11月5日(土) 郡山市民文化センター

日本フィル交響楽団
小林研一郎(C)
千住真理子(Vn)

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グリンカ:歌劇「リスランとリュドミラ」序曲
メンデルスゾーン:「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」
チャイコフスキー:「交響曲第五番」

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 約1800人が来場。満員御礼です。駐車場に停められずに、開演5分前に、ぎりぎり到着いたしました。

 学生さんの姿が多いと思ったら、管弦楽に取り組む市内の中高生が約330人招待されたとのことです。大人の私としても、このような企業のイベントは、懐に優しくて嬉しい限りです。
 しかし、企業のイベントとはいえ しょっぱなから、「あんたたちプロやわ~。」という演奏。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、千住さんが楽器の良さを弾きだし、味わいがあり切なさもある高音が素敵でした。そして私にとっては久々のチャイ5ではありましたが、第2楽章はやはり叙情的で甘い旋律はちょっとずるいくらいです。劇的で、映画のクライマックスシーンさながらに感動するしかありません。
 前から4番目の席は、『砂かぶり』というより、コバケンさんの『熱気かぶり』席でした。76才とはとても思えない、相変わらずの熱い演奏。周囲への気遣いも忘れないのもいつもと同じです。
この年齢で、これだけ目配り気配り心配りをして、チャイ5の後にアンコールのハンガリー舞曲もやってのけてしまうのだから、体力はどれだけあるのだろう。大きなパワーをもらって、晩秋に心も身体も温まった私達なのでした。



これは、チェコフィルです。


これはカラヤンBPO
2016_11
03
(Thu)21:03

近所の秋の様子

今日は、車で職場に向かう時から、素敵な風景画が流れてきたのだ。

職場に到着して、暫く時間が経過しても、同じ景色だったので、職場の窓からパシャッと音をさせて画像を保存。
上手く取れなかったけれど、虹の両側の出発点から繋がって見えた。
二重の雨の弓。

niji.jpg

グループ1(3出複葉)
メグスリノキ。

グループ2(単葉 葉は裂けない)
ヒトツバカエデ。チドリノキ。

グループ3(単葉 葉は裂ける)
ウリハダカエデ。

グループ4(単葉 葉に鋸歯がない)
アカイタヤ。ウラゲエンコウカエデ。イタヤカエデ。カジカエデ。オニイタヤ。

グループ5(単葉 葉に鋸葉がある)
ハウチワカエデ。ミネカエデ。オオモミジ。コウチワカエデ。

momiji.jpg

地元の山や公園で採取した楓の仲間たち。
この名前がついた樹の葉っぱが、ここに全部載せてあります。
秋も、もうすぐ終わり。
あっという間に、キリッと冷たい空気が身体に入ってきます。
2016_11
01
(Tue)00:00

ゲーテ:ゲーテ格言集

ゲーテ格言集
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 著
(新潮文庫)


行動について

仕事の圧迫は心にとってきわめてありがたいものだ。その重荷から解放されると、心は一段と自由に遊び、生活を楽しむ。仕事をせずにのんびりしている人間ほどみじめなものはない。そんな人はどんなに美しい天分もいとわしく感じる。(日記、1779年1月13日ガルテンハウスで)

仕事は仲間を作る。(「格言と反省」から)

自由に呼吸するというだけでは生きているとは言えません。役に立たない生活は早い死です。(イフェゲーニエ」第1幕第2場から)

気分がどうのこうのと言って、なんになりますか。ぐずぐずしている人間に気分なんかわきゃしません。今日できないようなら、明日もだめです。一日だって、むだに過ごしてはいけません。(「ファウスト」劇場の前戯、218-226行)




★ゲーテ先生は厳しいです。
他にも、「格言と反省」より“人間がほんとうに悪くなると、人を傷つけて喜ぶこと以外に興味を持たなくなる。”
という言葉がありました。友人に見せたら、「ゲーテ、イイこと言うじゃん!」と言っていました。
一連の仕事関係の格言を読みながら、明日の仕事に出掛ける気合を入れているのです。
毎日仕事がなくのんびり生活しているよりも、仕事を頑張れば終わった時に、ずっと晴れ晴れとした気分で跳ね跳び回れると、ゲーテ先生おっしゃられていますからね。仕事は大事。

「でも宝くじが当たれば辞めるけどね。」と言っている人は多いです。お金が入ったら辞める?わたしは、お金があったら、賃金に関係なく、薄給でも好きな仕事がしたいなと思う。そして、少し時間に余裕を持ちたい。

あまり時間がなくても読書をするのは楽しい。でも、先日読み切った、重松清さんの『流星ワゴン』はわたしはあまり感動出来ずに残念だった。時間に余裕がなくても、どんどこ本を読んでいこうかな。
2016_10
24
(Mon)00:00

五味康祐:音楽巡礼

 《久しぶりに日記的なもの》

体調が悪かったり、遊んでいたりして、ブログの更新をしなかったりしておりました秋。
「読書の秋だ~!」と豪語したものの、読んでいる途中の本の多いこと!
しかも、手をつけていない買っただけの綺麗な本も沢山ある。

最近、「買い物依存症は、アルコール依存症よりも治りにくい。」とある方からお聞きし、その事について考えていたが、他人のことは言えない。買っただけで満足し、手元にあるからいつでも読めるという安心した気持ち。これだな。
先程、PCを開いて、お気に入りに入れてある「honto」を開いて、さらに自分に驚いたのだった。
(「honto」はジュンク堂の通販ストア、電子書籍ストアがひとつになっている本屋さんです。)
なんと、7冊もの電子書籍が購入したままで、全くページを開いていない。

① 人生作法入門    山口瞳
② 禁酒 禁煙      山口瞳
③ 旦那の意見      山口瞳
④ 笑って死にたい   遠藤周作
⑤ 宇宙都市008    小松左京
⑥ 創作の極意と掟   筒井康隆
⑦ 音楽巡礼       五味康祐


この中で、狐狸庵先生の「笑って死にたい」は、電子書籍を購入したのをすっかり忘れて、本を購入してしまったという失態。
(今気が付いた)
そして、山口瞳に凝っていたのに今は鎮火している現在のわたしに気が付くのである。

ページを開こうとしたら、暫く動かしていなかったので、「honto」を再インストールすることになった。
今読んでいる本もあるけれど、久しぶりに、頑固親父(山口瞳さん)の小言も読んでみようかなと思ったけれど、五味康祐さんから読んでいる。ベートーヴェンかぁ。

読む本が沢山あってhonto幸せな秋…なのかな?

2016_10
23
(Sun)00:00

ゴッホ:ローヌ河の星月夜

ローヌ河の星月夜フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)
1888年 油彩/カンヴァス
『青と黄』。
ゴッホの作品には独特な鮮やかな色使いが特徴的だ。
中でも、青色と黄色の二色は、ゴッホにとってとても重要な色である。

夜のカフェテラス』 1888年
夜のカフェ

星月夜~糸杉と村~』 1889年

星月夜

星空の下の糸杉の道』 1890年

糸杉


どの作品にも、同じような色調で夜が表現されています。暗闇を表現するには明るすぎる青。そして、どの作品の星も存在感があり、あまりにも大きく黄色に輝き、迫ってくるかの様なのだ。
わたしがゴッホで一番好きな作品は、1988年作の『ローヌ河の星月夜』。
この作品では、明るい星空は勿論のこと、蒼黒いローヌ河の水面には街灯が明るく映り、さらに闇夜を明るく照らしているのです。
そして、目立たないように、岸にはひっそりと小舟が二艘。手前には手をつないだ恋人達が寄り添っています。
かねてから念願の地であった南フランスへようやく辿り着いた、ゴッホの安堵感が映し出された作品なのだろうか。
恋人の男女と穏やかな夜の情景は、星も人も同じ世界になり、穏やかだが神秘的な空気が流れる。

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東京都美術館で、『ゴッホとゴーギャン展』(会期~2016年12月18日まで)を開催している。ゴッホとゴーギャンという、黄色い家で共同生活をしていたという二人の芸術家の魂はとても強烈で、とても魅かれてしまう。美術館に行けずに悔しがっていると、雑誌やテレビでは必ず特集を組むのである。
しかたがないから、『ファン・ゴッホ美術館』へ行こうかとも思ったけれど、「そうだ!アムステルダムなんだっけ。」行ける可能性がますますないやと挫けてしまった。
そこで、まんまとこの雑誌を購入してしまったのである。セブンイレブンで、コーヒーを常飲しているせいで、ナナコカードのポイントがたまったから、ポイントで購入したという説もある。
ゴッホは、自然を人間にわかりやすく解説してくれる。




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2016_10
21
(Fri)22:30

ラ・カンパネッラ

今月、10月9日に、『野口英世記念 ばんだい高原国際音楽祭2016』に行ってきたのだった。
わたしは2日目の、猪苗代町体験交流館「学びいな」というホールのある施設で行われるコンサート2つのチケットを予約。

神!伝説の超絶技巧再び〜きわめつきラ・カンパネラ〜
アレクセイ・グリニュク(ピアノ)
リスト:ペトラルカのソネット第104番〜巡礼の年第2年「イタリア」
ピアノ・ソナタ ロ短調
ラ・カンパネラ〜「パガニーニ大練習曲集」
 

ばんだい1


涼!北欧を代表するトップ・アンサンブル〜快感快速コンチェルト〜
ヘルシンキ・バロック・オーケストラ
アーポ・ハッキネン(チェンバロ・指揮)
ヨハネス・プラムゾーラー(バロック・ヴァイオリン)

バッハ:チェンバロ協奏曲第3番BWV1054
バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番BWV1041
ルーマン(スウェーデン):シンフォニア ホ短調


ばんだい2


La Campanellaは、リストのピアノ曲。パガニーニのヴァイオリン協奏曲 第2番 第3楽章のロンド 『ラ・カンパネッラ』の主題を編曲して書かれた。 リストが「ラ・カンパネッラ」を扱った作品は4曲存在するため、以下に作曲された順に紹介する。最終稿の『パガニーニによる大練習曲』第3番は、数多くあるリストの作品の中でも最も有名なものの一つ。
Campanella は、イタリア語で「鐘」という意味という解説がコンサートの前に行われた。
実際に直接演奏を耳にするのは、いいものです。リストは、あまりCD枚数所有していなかったと思うけれど(もう自分の所持CDを把握していない)久しぶりに聴いて、新鮮であった。
古楽器のバッハも、とても面白かった。

最近、寒くなって、暗くなって、体調も今一つだったりして、秋なんだとしみじみと思う。
意味なく暗い気分になるのも、いい気がするのだった。
一年中、夏休みみたいに明るいのも、ちょっとおバカさんみたいだ。
アンニュイな表情をしているけれど、心の中では「美味しい焼きいも食べたい。」と思っているかもしれない。
気怠いのではなく、本当に怠いのだ。
いっぱい食べて、たくさん寝ますぞ!

何て素敵なんでしょう。美しく情熱的なキーシンのカンパネッラ!

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