2017_06
06
(Tue)23:13

ちょっと休憩して遁走曲ではなく前奏曲

バッハ のシンフォニアを練習していたわたしですが、あまりにも難しくて苦難しているのを先生が可愛そうに思ったのか、今日は別な曲を薦めようと考えてきてくださったとのこと。
そして「シンフォニアはゆっくり進めることにして、まずは小プレリュードで少し楽しくいきましょう。」ということですが、弾くにあたってのお話です。

「さて、プレリュードとは何でしょう。勿論、前奏曲ですが、どのような形でどのようなイメージがありますか?
バッハの平均律クラヴィーア曲集などは、プレリュードとフーガでひとつになっていますね。でも、ショパンのプレリュードは、ひとつだけでも作品として成り立っています。
プレリュードは、大きく分けると4つの種類になります。まずは
①フーガ形式
これは、楽譜を見ると、右と左で音が追いかけっこしているので、すぐにわかりますね。
②音の塊の羅列
メロディーラインだけで、同じ形でいろいろな色の塊で動いていますね。
③アリア
とてもメロディアスなラインで、歌うような美しい響きになっています。
④トッカータ
冒頭から個性的にはじまり、非常に難しい形式です。

この4つからなっていますので、これはどの形式か理解してから弾きましょう。
そして、これもまたピアノ向けの楽譜ではなく、昔の楽器用ですから、パイプオルガンですと簡単に弾けますが、ピアノだと音が消えてしまうので、タイを何度も押して音を復活させないといけません。
さあ、どの形式が当てはまるか、プレリュードを読んでみましょう。」

最近、肩の力を抜くようにしなくてはと思うことが多かったのだけれど、趣味のピアノもそうみたい。
少しのんびり楽しくやりましょうか。

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さて、この曲は何番にあたるでしょうか?
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2017_06
04
(Sun)22:30

グールド/モーツァルト:ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調 K.333

モーツアルト ピアノ・ソナタ集 より
ピアノ グレン・グールド




★問題のグールドのモーツァルト。
著作を読めば「モーツァルトは早死にしたのではない。死ぬのが遅すぎたのだ」という主張があまりにも有名になっているし、モーツァルトに喧嘩を売っているのかと思う演奏もあるけれど、モーツァルトを尊敬して作曲家の意思を受け取とっていると評価される演奏が全てではないと思う。
山口瞳さんがエッセイの中で、自身の著作「居酒屋兆治」を映画化されたことについて、“もうそれはすでにひとり歩きしているのだから、演出の干渉は全くしない”というような事を書いていた。
吉松隆氏も、自分が作曲した曲が、どのように演奏され表現されようとかまわないと書いていた。
自分が産んだ子が、どのように育とうと、生みの親がどうこう言うことではないということだ。こう生まれたのだから、こう育たなくてはいけないというのは親のエゴだというような事も書いてあった。親の心子知らずなのかもしれない。知っていながら、わざと知らないふりをしているのかもしれない。親心を知っている身としては、ハラハラするかもしれない。しかし、自由な発想が、その作品の別な面も見せてくれることもあるだろう。
そう考えると、グレン・グールドの演奏がロックだとか、クラシックの音楽家ではないとかいう論争は、どうでもいい話である。私のピアノの先生がよく、演奏について「歌っているか歌っていないか」を常に問いてくる。やんちゃなグールドは間違いなく、天声で歌っていると思うのだ。



グレン・グールド・ストーリー~ベスト・オブ・グールド


これはCDではなく、iTunesで、iPhone入れてBlootoothで車中で聴く用に購入したもの。
この中の、モーツァルト ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491より 第3楽章 [アレグレット]が良い。ダイナミックで、ロマンチシズムがなくて、堂々としていて気に行っている。気にいっているので、結局はそのうちCDで入っているものを購入かけてしまいそうだ。https://youtu.be/tkhwK5YEksI
2017_05
21
(Sun)22:30

こころのバランス

今日のライン占いでは、「過去に賛成できないことを無理に押し切られたりしたことが、心のなかでくすぶっています。心のバランスに気をつけましょう。」とのことだった。
昨日から、過去に強引に押し切られたシリーズが走馬灯の様によみがえって、気が滅入っていた。具体的に何ということではなく、それ相応の年月を生きてきたので、結構なラインナップであった。お人良しだった自分に嫌気がさしたり、自己嫌悪になったり、あまり成長していない自分に気が付いたりした。
今日の仕事は、普通に時間が過ぎた。わたしの好きな工作系の仕事も、資料を新しく作るというPC作業も楽しく出来たのだった。
帰宅したら、すぐに昨日から始めたジグソーパズルにとりかかり、先程小さなパズルが完成した。特別パズル好きなわけではなく、むしろパズルを飾る人を軽蔑するような偏屈なところがあるのだけれど、昔に購入したパズルが箱を開けずにそのままだったので作ってみた。ムーミン谷も、個性豊かな自己顕示欲の塊の様なキャラクターばかりで、けっして癒されることはないけれど、愛すべき住人さんが今もワーワー言い合っているのだろうと想像したりした。
かなり無駄な時間を費やしたようで、こういう無駄な時間というのはいいものだ。これが『集中』ということなんだな。普段のわたしはやはり注意力散漫になっていることがわかった。

今日聞いた音楽は、グールドさんのベートーヴェンの後期ソナタ。





2017_05
18
(Thu)00:00

シューマン: 歌曲集《リーダー・クライス》(ユリナッチ)

シューマン歌曲集
シューマン: 歌曲集
《リーダー・クライス》, 《女の愛と生涯》; レスピーギ: 夕暮れ
<タワーレコード限定>

1. ロベルト・シューマン:リーダークライス 作品39
2. ロベルト・シューマン:《女の愛と生涯》 作品42
3. オットリーノ・レスピーギ:夕暮れ

セーナ・ユリナッチ(ソプラノ)
フランツ・ホレチェク(ピアノ)
バリリ四重奏団

録音 1953年5-6月 ウィーン、コンツェルトハウス、モーツァルトザール


★シューマンには2つのリーダークライスがあって、ひとつはハインリヒ・ハイネの詩に作曲された作品24で、ここに収録されている作品39は、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの12の詩によるものである。その二曲目。

Intermezzo

Dein Bildnis wunderselig
Hab ich im Herzensgrund,
Das sieht so frisch und fröhlich
Mich an zu jeder Stund.
Mein Herz still in sich singet
Ein altes s
Das in die Luft sich schwinget
Und zu dir eilig zieht.

(Joseph von Eichendorff)


インテルメッツォ(間奏曲)

君のとても幸せな面影を
心の底に僕は抱く
それはとてもさわやかに
楽しげにいつも僕を見つめている

僕の心はそっとつぶやいてみる
なつかしい 美しい歌を
それは空気のなかで 響きふるえ
君のもとへと飛んでゆく

(ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ、対訳:山枡信明)



★この歌曲集の詩の選択は、クララがアイヒェンドルフの様々な作品から選んでシューマンに送ったもので、一貫したストーリーはないそうです。この曲はシューマンのクララへの思いをこめた作品です。
ふと、心地よい空気を思い出したのでしょう。嬉しさと、切ないもどかしさを、この短い詩に感じました。
ユリナッチさんは、情熱的に切なく、クレスパンさんは、晴れやかに伸び伸びと歌っていらっしゃいます。歌い方によって、詩の雰囲気も捉え方も、違くなります。感性は、何をするにも大事なものですね。
2017_04
03
(Mon)21:00

茨木のり子:行方不明の時間

茨木のり子詩集 (谷川俊太郎選)
岩波文庫      より



行方不明の時間


人間には
行方不明の時間が必要です
なぜかはわからないけれど
そんなふうに囁くものがあるのです

三十分であれ 一時間であれ
ポワンと一人
なにものからも離れて
うたたねにしろ
瞑想にしろ
不埒なことをいたすにしろ

遠野物語の寒戸の婆のような
ながい不明は困るけれど
ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です

所在 所業 時間帯
日々アリバイを作るいわれもないのに
着信音が鳴れば
ただちに携帯を取る
道を歩いているときも
バスや電車の中でさえ
〈すぐに戻れ〉や〈今、どこ?〉に
答えるために

遭難のとき助かる率は高いだろうが
電池が切れていたり圏外であったりすでば
絶望はさらに深まるだろう
シャツ一枚 打ち振るよりも

私は家に居てさえ
ときどき行方不明になる
ベルが鳴っても出ない
電話がなっても出ない
今は居ないのです

目には見えないけれど
この世のいたる所に
透明な回転ドアが設置されている
無気味である 素敵でもある 回転ドア
うっかり押したり
あるいは
不意に吸いこまれたり
一回転すれば あっという間に
あの世へとさまよい出る仕掛け
さもすれば
もはや完全なる行方不明
残された一つの愉しみでもあって
その折は
あらゆる約束ごとも
すべては
チャラよ

 





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2017_04
02
(Sun)21:00

グレン・グールド名演集

少し昔のお話。1955年のグレン・グールドの鮮烈デビュー盤『J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV.988(モノラル)』以前の演奏があるんだよということで、1954年盤『ゴルトベルグ変奏曲』を、聴いたことがあった。その時に、グールドの演奏ではないのでは?と思ったのだった。それは「これがデビュー前の演奏だよ。」と知人が録音してくれたものを聴いた訳だったので、不確かさが満点の代物だったということもある。レガートで普通に感じる演奏からは、グールドの原点が見えなかった。そんな思い出。

最近、「購入かけたよ~。」とパートナーさんから渡された、『グレン・グールド名演集』(10CD)。この中に収録されている、1954年の演奏を聴いたら、それは紛れもなく、若きグールドさんの演奏だった。おっかしいなぁ。以前聴いたものは、やはり別なピアニストの演奏だったのか、若き日の私の耳がおかしかったのか、それとも記憶の曖昧さなのか。

何度も繰り替えし聴きたい様な演奏ではなかったけれど、この弾き方は彼しかありえない。やはりデビューは1955年のデビュー盤しかないと思うけれど、原石の少し荒っぽいグールド氏の打鍵が聞こえて、嬉しい限り。

全体的に録音状態が悪く、雑音がかなりするけれど、グールドの原点を知るにはとても満足する商品だ。
それと、『ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番 Op.15』の聴き比べが出来るのが嬉しい。グールドが自分なりのカデンツァを作曲した後の作品の方が、断然ハッスルのグールド節でやはり最高なのだ。少しバッハのような、ベートーヴェンと思えないカデンツァ。このカデンツァの素晴らしさについては、また別CDにて。

グールド名演集

グレン・グールド名演集(カナダCBC録音、他)(10CD)

グールドの「地元」CBC(カナダ放送協会)で18歳から22歳のときにおこなった放送録音を中心にしたセット。グールドは、18歳のときからのカナダの国営放送協会、CBCの音楽番組に出演しており、これは18歳から22歳にかけての演奏。若い頃の録音なのでモノラル録音でかなり雑音がしますが、グールドファンは押さえておきたい演奏です。


2017_03
01
(Wed)00:00

直感が感知した調和 

バッハ ゴールドベルグ変奏曲

 グレン・グールド(ピアノ)

 私たちはこの曲で、基礎低音の処理としてはおそらく音楽史上最も輝かしい実例に接するとはいえ、私の意見では、バッハが進んで変奏曲形式を採用した意図の根源は、組織的構成面への興味ではなく、感情の交流にあったのである、と考える。ここでは主題は単なる外的名辞ではなく内的な根源であり、しばしば回帰するバッサカリアは全曲の中心軌道の上に集中的な焦点をもたらすのである。
 換言すれば、これは始まりをも終わりをも考えない音楽、いかなるクライマックスをもいかなる解決をも持たない音楽、ボードレールの恋人たちの如く「そよ風の翼の上に軽やかに憩う」音楽なのである。したがってこの曲は、直感が感知した調和、技巧と吟味とから生まれた調和を持っており、しかもこの調和は、卓越した技術的手腕によって培われたものであり、芸術の領域ではきわめて稀なことであるが、可能性の絶頂に欣喜する無意識的な構想のヴィジョンを通して私たちに掲示されるのである。


                               グレン・グールド
                             (掛下栄一郎訳)




 「直感が感知した調和」という言葉に、ひどく惹かれてしまった一日だった。熟考していきついたものではなく、「こうだ!」と瞬間的に思ったところに合わされた、音の心地よい響きなのだった。
実はいろいろな演奏のゴールドベルグは所有しているのに、結局、何度も繰り返して聞くものはグールドさんなのであった。ケンプ氏の演奏も、最近通して再び聴いたけれど、子守歌のゴールドベルグが忠実に脳を回ってくるのだ。
1955年のゴールドベルグはあるはずなのに見つからず、買いに走っていただき、二枚目を入手して聴いている。1981年の完成されたグールドバッハではないけれど、デビューの若々しい鳥が歌うようなゴールドベルグも、春に向かって素敵に心に吹き込んでくる。自然の中で息づいている動物や鳥が唄うような、恋人が会話するような、そんな調和のとれたこの曲が生活の中でのテーマソングだと信じている。

2017_02
26
(Sun)22:00

マラカイトのアジャスターネジ



Alexanre Tansman
TRYPTIQUE

タンスマンのトリプティークを弾いている少年の初めての全体練習を見学した。
ゴルシュマンのCDやらなんやらを毎日かけている成果か、楽譜を入手する前から耳コピーでがんばった成果なのか、曲の形なってた。
今年も全国大会まで行けますように。

パワーストーン天然石スクリュー。マラカイトのアジャスターのネジで、音は変わるか?
お守りとしてもいい、ゲン担ぎ?弦担ぎかもしれない。

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2017_01
30
(Mon)07:00

アーノルド・ローベル:ふたりはともだち

ふたりはともだち

アーノルド・ローベル著 三木卓訳

おてがみ


(がまくんは、お手紙をもらったことがありません。とても悲しい気持ちです)

かえるくんは窓から覗きました。かたつむり(郵便やさん)はまだやってきません。
「でもね、がまくん。」かえるくんが言いました。
「今日は誰かが君にお手紙くれるかもしれないよ。」
「ばからしいこと言うなよ。」がまくんが言いました。
「今までだって誰もお手紙くれなかったんだぜ。今日だって、同じだろうよ。」
かえるくんは窓から覗きました。かたつむりはまだやってきません。
「かえるくん、どうして君ずっと窓の外を見ているの。」がまくんが尋ねました。
「だって、今僕、手紙を待っているんだもの。」かえるくんが言いました。
「でも、来やしないよ。」がまくんが言いました
「きっと、来るよ。」かえるくんが言いました。
「だって、僕が君に手紙出したんだもの。」
「君が?」がまくんが言いました。「手紙に何て書いたの?」
かえるくんが言いました。「僕はこう書いたんだ。『親愛なるがまがえるくん。僕は君の親友であることを嬉しく思っています。君の親友かえる』。」
「ああ、」がまくんが言いました。「とてもいい手紙だ。」
それから二人は玄関に出て、手紙が来るのを待っていました。
二人共とても幸せな気持ちでそこに座っていました。


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★がまくんは、ちょっと面倒くさい男である。短気で気難しく本当に世話がやける。
「誰からも手紙が来ない」と言って騒いだがまくんを、「僕がいるのに、いったい誰から手紙がほしいんだい?」と怒ってもいいくらいだ。でも、かえるくんは、いつも穏やかだ。大事な友達を心配する優しさは、押しつけがましくなく、ふんわりと柔らかい。がまくんの、自由な心を決して抑制しないのだ。それは、かえるくんが、がまくんのことを本当に好きだからなのだろう。
自分自身が書いた手紙を、がまくんと一緒になって待っている時間は、傍目から見れば滑稽に見えるだろう。でも、愛情は仕事や義務ではないのだから、無駄な時間も大切なのだ。
なんとなく幸せにひたって遠くを見つめる二人は、きっとずっとずっと仲良しなんだろう。
2017_01
08
(Sun)00:00

バッハ:9つの小プレリュードより ト短調 BWV930

バッハ 小プレリュードと小フーガ集 他 より
9つの小プレリュードより
ト短調 BWV930


ピアノ グレン・グールド


 バッハが長男の教育用に書いた「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」に収められているもので、ここではそのうちから6曲が演奏されている。いずれも小品だが曲想は豊かで、BWV924やBWV926のような分散和音型、BWV925のようなインベンション型、活発なBWV927、落ち着いたBWV928、情緒的なBWV930というように変化に富み、バッハがここまでさまざまな書法と様式を教えようとしたことがわかる。ケーテン時代後期の1720年からライプツィヒ時代初期1725/1726年頃の作とされるが、BWV925とBWV927は長男の作品かもしれない。なおBWV930は、バッハが指使いを記入した数少ない曲のひとつである。(角倉一朗)


★この曲は、とても心情に訴える曲です。音の構成はさすがに音楽の神様で天才ですが、練習曲であっても、そこにストーリーがあるところが素晴らしいところです。

人生なんて何も思い通りになんてならない。自分の思いで何かが変わるわけではないから、人を騙したり、誤魔化したりしないで、とにかく真面目に頑張ろうと、ずっと思っていた。でも、最近そう思わなくなってきた。
思い通りにならなないとかではなく、人生の自然な流れを、逆らわずに自分の行く方向性を持って、てくてく歩いて行こうかな。そんな感じ。

仕事始めは2日からだったのだけど、音訳のボランティアがあったりして、心の中が気ぜわしい年末年始だった。
でも、穏やかな時間もとったし、いろいろな人と触れ合って、温かな年末年始でもあった。

流れに自然に乗って進んでいる気がする。
人生はドラマティック。いつの間にか、ドラマになっているんだ。
この曲BWV930は、練習曲を超えた、素晴らしいショートストーリーだと思う。



 
2017_01
07
(Sat)00:00

グールド・ジュリアード弦楽四重奏団/シューマン:ピアノ四重奏曲


シューマン:ピアノ四重奏曲 変ホ長調 作品47
グレン・グールド (ピアノ)
ジュリアード弦楽四重奏団

 ロバート・マン(1stVn) イシドア・コーエン(2stVn)
 ラファエル・ヒリアー(Va) クラウス・アダム(Vc)

1965年4月


 

グールドとコンビを組んだピアノ四重奏曲は五重奏曲の上をいく名演だ。ノン・レガートでごつごつした響きを作るグールドの個性的なタッチが、音楽に印象的なアクセントとなっている上に、ジュリアードの表情的な陰影がなんと美しい風景を描き出していることか!
第一楽章のエネルギッシュな進行には、楽想が次々に変化していく特有の豊かな含みがあるが、グールドとジュリアードのメンバーが描き出すものはまた深く豊かな陰影に彩られて、千変万化する風景だ。アンダンテ・カンタービレのしっとり濡れてメランコリックな風合いがじいんとしみる。
そして終楽章の猛烈な推進力と爆発的に破裂するパッションがエキサイティングなこと!
「ジュリアード弦楽四重奏団は現代音楽だ」などという安易な先入観は木端微塵に吹き飛んでしまうのである。 (2014年)

 松沢 憲 「表情的な陰影と爆発的なパッション~ジュリアード弦楽四重奏団、黄金期の名演」






ピアノ四重奏曲 変ホ長調 作品47。グールドと誰かの共演を聴くときは、心構えが必要だ。グールドがあまり評価していない作曲家だと、やりすぎと思える演奏だったり、相手によっては自分の思い通りに実験心が湧いたりして摩訶不思議な物が出来上がったりするけれど、それはそれで楽しい。ジュリアード弦楽四重奏団とグレン・グールドの共演は、同じ波長ではないのかもしれないが、シューマンを作り上げることに同意し成功だったものだと思う。ジュリアード弦楽四重奏団は、多彩な音の枝を次々と伸ばしていくし、グールドは、いつものグールドらしい演奏だった。好きなのバッハを弾くように、ノン・レガートでコツコツコツコツと、鍵盤を生き生きと叩いている。しかし、バッハとは違う味わいのあるコツコツ感であった。とても不思議な音で、すべての楽器が浮いているような、逆に全てが重なりあっているような、味わったことのない迫力のあるカッコいいシューマンだ。惹きこまれてしまう。そして、この三楽章を聴くと意味なく泣けてしまうのだ。
最近は、この曲を車でかけると、運転をしていながら「胸がチクチク痛いよ~。」と言う方がいる。このCDを、探して来てくれたのだった。素晴らしい芸術や小さなあれこれまで、共感できる嬉しさを実感している。

毎日を、優しい時の流れを、大切にしようと思う。

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2016_12
15
(Thu)00:00

山口 瞳:才能について

 (中公文庫)    禁酒禁煙 より

 才能のない人間はいない。人間は、誰でも、その一人一人が天才である。しかし、自分の才能がどの分野に向いているか気づかないことがある。
 私は、才能については、そんなふうに考えている。その考えが正しいかどうかわからないのだけれど、そう考えれば気が楽になる。人間だれでも使い道があるといったように。
 某週刊誌の身の上相談を一年間連載したときにも、そう答えてきた。ファッション・モデルになりたいという娘さんの投書に対して、もしあなたがファッション・モデルに向いているとすれば周囲の人間が放っておかないはずだ、そうでないとすれば諦めるよりほかはないと答えた。
 (省略)
 小説家志望の場合も、ファッションモデル志望と同じであって、あいつは書けるとなったら、まわりの人間は黙ってはいない。
 たとえば古山高麗雄さんの場合で言うと、私は若いときに彼と同じ会社で机をならべていたのであるが、私の印象は愛すべきナマケモノであった。ところが世のなかには具眼の士がいるのであって、40代の半ば過ぎてから、やいやい言われて、むりやりに小説を書かされてしまった。
(省略)
 だから、うずもれてしまう才能というものは無いと考える。「錐の嚢中に処るが如し」である。これは私の推測なんであるけれど、ほぼ間違いがないと思う。そういう点で、世間というものは捨てたものではない。世の中は案外に公平に出来ているものである。

 

★これは一概にそうとは言えないし、実際にうずもれてしまう才能はあるのかもしれないけれど、こう考えていた方が楽に生きられると思う。才能がその職業に適していないのに、しがみついて「自分は才能があるのに認められない」と一生考えて生きていくことは、短い人生で損をしてしまう気がします。
 
向いていること、向いていないことはあるし、いくら頑張っても報われないこともたくさんあります。努力すれば救われる訳ではないのだけど、努力段階でも楽しめるのなら、それは向いている道なのかと思う。
ようやく資格の勉強を終えたところなのに(まだ、受験はしていない)、また新たにお勉強したくなってしまった。今度は勉強のスタート地点に立つことから思案しないといけないのだけど、興味があるので調べてみよう。
「この年齢にしては壮大な夢だなぁ。」と、女子大生に言われました。
人生大変だけれど楽しもう。

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2016_12
12
(Mon)00:00

J.S.バッハ:マタイ受難曲BWV244 憐れみ給え、わが神よ

★12月には必ず紹介の、この曲。

J.S.バッハ マタイ受難曲BWV244 より
第47曲 アリア 憐れみたまえ、わが神よ


 


ミュンヘン少年合唱団 ミュンヘン・バッハ合唱団 ミュンヘン・バッハ管弦楽団
指揮:カール・リヒター


この素晴らしく敬虔な美しい曲を、水牛楽団、高橋悠治さんが、ピアノ編曲しております。
高橋悠治の、冷たくも思われるピアノのタッチが、この旋律にぴったりくるのです。
なぜ、こんなに素敵なピアノ版が、世間で弾かれないのか不思議でならないのです。

Yuji Plays Bach より
主よ、あわれみ給え BWV244(編曲 高橋悠治)

 

高橋悠治 編曲・ピアノ
http://www.hmv.co.jp/product/detail/717594






★今日はクリスマスリースを作りました。
お休みだったのです。
山で一緒に拾った松ぼっくりや、栗や団栗を茹でて、アクリル絵の具を塗って、
木工用ボンドで貼り付けて、なんとか完成しました。
今年ももうすぐクリスマスがやってきます。
クリスチャンではないけれど、クリスマスの音楽や、クリスマスの用意など
無宗教でもイベントとして楽しみです。
クリスマスはケーキを食べる日です。

リース
2016_12
08
(Thu)00:00

木島俊介:女たちが変えたピカソ

女たちが変えたピカソ
木島俊介 著
中公文庫


貴重なのは芸術家が何をするではなく彼が何者であるかだ ピカソ

私は恋愛の情にかられて仕事をする   ピカソ

今やわれわれは、生まれおちると同時に、人によって救われる以外、生きていく道のないことを知っている。自然も社会も救いとはならず、むしろわれわれはそこから分離していて孤独であり、やがて孤独のうちに死ぬのであろうことを知っているのである。ただ人のみが、そこからわれわれを救い出してくれるのだ。そして人が人を救うのは愛によってのみなのである。では愛とは何か。月並みなことではあるが与えること以外ではありえない。男と女の間の愛が最も端的に物語っているように、オルガスムというほとんど死に近い贈与の瞬間とその感覚の持続のなかで、人は、自分自身の充足、費消、生の悦楽の感情を経験する。バタイユはそれを「小さな死」と呼んでいた。ピカソが「恋愛の情にかられて仕事をする」と表現したのは、おそらくこの次元におけることの悦楽についてなのである。

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この文章を書いた方も男性だし、ピカソはスペインの闘牛ミノタウルスだし、女性の目線ではないので何ともはや~なのだけれど、面白い本でした。ピカソの描く作品の一枚一枚は、想像の世界ではなく彼の『日記』だということ。「スペインでいわれているように、愛は言葉ではないんだ。行いで示される。」と言ってはばからないピカソ。犯罪になっていないところは、彼の魅力のおかげであって、どの恋愛もお縄ギリギリセーフだったのではないかと思われる。ピカソが憎めないところは、全て本気の恋愛だったところだろう。「軽い遊び」とか気障なところはなく、常に全力投球。それが、女性にとっては交通事故のような出来事であっても、情熱と才能の塊には参ってしまったんだろう。

そんな恋愛遍歴のピカソが年をとり、この写真のフランソワーズ・ジローに逃げられてしまう晩年。フランソワーズは凛としていて美しい。自分自身も、画家としての才能と自信があるからだろう。

自由にさせて欲しいけれど、自分のことだけを見て欲しい…というピカソ。綺麗な服を着て平和なテーブルに座るより、ボヘミアンの服装で夜の街に出掛けたい…ピカソ。颯爽と歩くフランソワーズ姫の一歩後ろから、仕えるように傘を差しかけるピカソの写真がとてもいい。
わたしも強く凛とした人になりたい。
2016_12
04
(Sun)00:00

つげ義春:蒸発旅日記

新潮文庫 平成7年発行
新版 貧困旅行記より


 それは昭和43年の初秋だった。行先は九州。住みつくつもりで九州を選んだのは、そこに私の結婚相手の女性がいたからだ。といっても私はこの女性と一面識もなかった。ニ、三度手紙のやりとりをしただけの、分かっているのは彼女は私のマンガのファンで、最近離婚をし、産婦人科の看護婦をしているということだけだった。
「どんな人かなア」と私は想像してみた。
「ひどいブスだったら困るけど、少しくらいなら我慢しよう」と思った。 とにかく結婚してしまえば、それが私を九州に拘束する理由になると考えたからだ。そしてマンガをやめ、適当な職業をみつけ、遠い九州でひっそり暮らそうと考えた。「離婚をした女なら気がらくだ」彼女はきっと結婚してくれるだろうと私は一人決めしていた。

 ★この様に、つげ先生は一般的なひどい男です。ヒモ希望なのに堂々としていらっしゃるところが、なんとも素晴らしい。(のか?)
「ねじ式」「無能の人」などなど、トラウマになりそうな漫画の数々を生み出したつげ先生。
全てわたしの青春の1ページなのです。
この本の中の写真は、昔の温泉地の活気のある寂しい風景がよく表れています。地方の温泉は本来『豪華ツアー旅行』や、『秘湯探しの旅』など明るい気分で行くところではなく、ひなびた物哀しいところでした。
写真だけでも昭和時代の地方の暮らしが見え、見応えがあります。
文章は…まあ、こんな感じ。

2016_12
01
(Thu)00:00

重松清:きみの友だち

きみの友だち より
かげふみ
新潮文庫

重松 清 著


「あのね、うつむいてから顔を上げるでしょ、その瞬間って、けっこう笑顔になってるの。なにも考えずにパッと顔を上げたとき、ほんとに、笑顔が浮かんでるわけ」
 やってみなよ、とうながされた。
 ほんとうだ。しばらくうつむいてから顔を上げたブンは、ふわっと緩んだ微笑みを浮かべていたし、きみが顔を上げたときにも、ブンは「へえーっ、姉貴すげえ、ほんとじゃん」と言った。
 理由があった。うつむくと自然に息苦しくなって、顔を上げたときに空気を胸に送り込もうとする。そのときに少しでも多くの息を吸うために頬がゆるみ、笑顔になる。
「だから、笑いたいときには、うつむけばいいわけ。自分の影を相手にして、かげふみしてればいいんだよ。そのうちに息が苦しくなって、顔を上げたくなるから」
 お姉さんは、きみを見ていた。



 

★中学生は大変だ。
バスや電車通学の子は、毎朝7時前には自宅を出る。学校に着いたら、ホームルームの時間までは読書。しかも、身体測定などの待ち時間も読書。友達と騒いでなんかいられない。
授業は、初めて聞く言葉ばかり。英語なんてチンプンカンプン。勉強ができる子はそれなりに難しいところに取り組むだろうし、あまり出来ない子だって基礎勉強に必死だろう。お昼ご飯の時間は、なんと15分間だ。せめて30分にしてあげたくなる。
授業が終わったら部活動。運動部も大変だし、文化部だって大変だ。初めて筋肉痛をいうのを知るのは、中学の頃かもしれない。終わるともう6時半。暗くなっている。
塾の日は、塾に荷物をおろして、コンビニで肉まんやおにぎりを食べる。塾の授業に向かう頃なんて、ヘトヘトでペコペコで疲れのピークだろう。終わった頃は、夜の10時。親が迎えにくる家庭もいれば、幼い弟妹がいる家庭の子は自力で帰宅する子もいる。
しかも、まだ幼い人間関係が渦巻いている。まだ、自我が強いから、きつい言葉で相手を傷つけたり傷ついたり。
中学生だから、親に言うもの気恥ずかしい。心も身体も筋肉痛。

どの子もニコニコして見えるけれど、悩みを抱えている子がたくさんいるのだろう。

うつむいたっていいから、時には空を見上げてみよう。
きっと君は、前と変わっていないよ。
2016_11
24
(Thu)00:00

遠藤周作:人生、ぐうたらに徹すべし

人生、ぐうたらに徹すべし  より

言葉のちから

遠藤周作 著
河出書房新社



 私自身もむかし『沈黙』という題の小説を書いたことがあった。
 しかし沈黙とは普通、解釈されているようにナッシングの世界とは限らないのだ。私は最近茶の稽古に通っているが茶室の静寂はもうひとつの世界からの語りかけが聞こえるということが前提となっている。日本がの空白は奥深いものの表現にほかならない。同じように「沈黙」の背後にはそれを聞く耳を持った人間ならば、きっと聞くことのできるXがひそかに息づいている筈だ。
 我々は言語にならぬものは空虚であり、何もないと錯覚している。しかし言語のもつ本質的な部分はまるで枯山水の庭石のように地中深く埋められているのであり、井筒先生はこれを言語アラヤ識と表現された。そのアラヤ識の部分が存在と本質的に関わっているのであろう。
 話は変わるが「老い」とは、こうした眼にはすぐには見えぬもの、耳にはすぐに聞こえぬもの、言語では表現できぬものに心かたむいていく年齢だという気がする。
(省略)
 それとともに言葉を使って何かを表現する「小説家」がこの言葉の力の届かぬものをどう言いあらわせるのかが気になって仕方がない。詩人ならばとも角、散文家にとってはこれが大事な問題だからだ。

人生、ぐうたらに徹すべし [ 遠藤周作 ]
価格:820円(税込、送料込)



花鳥風月
以前の職場の大先輩が「花鳥風月とはよく言ったものだな」と言っていた。
その方はマスコミ関係でずっと働いていて、趣味は野球。早口でせっかちで神経質で、仕事でもとにかく細かい。その先輩が、急にそう言った。
「本当に年をとると、花、鳥、風、月の順番に感じるようになるんだよ。若いころは振り向きもしなかった花を見ると、本当に綺麗だなとしみじみ思うな。静かな時間が多くなった。俺も年をとったんだなぁ。」と、言っていた。
沈黙の裏側。静寂と背中合わせ。
わたしももう少し年を重ねれば、言葉が届かない世界を感じるようになるのかな。まだ、若いのかもしれない。聞こえる言葉や見える物を感じたままにしか表現できないし、そこで思ったことを直接的にしか言えない。ワビサビワサビもわからない。

「言葉のちから」というタイトルで、こんな素晴らしい文を生み出す遠藤周作先生。これは、狐狸庵的エッセイなのだけど、軽い文章を書こうとしても、豊富な知性と高い品格は隠せないのだろう。

2016_11
22
(Tue)20:21

グールド/バッハ:シンフォニア No.1 BWV787

グールド/バッハ:シンフォニア No.1 BWV787

「PASOさんの弾くシンフォニアは、二声にしか聞こえない。」との指摘でした。
本日のピアノレッスン。
「ストレットで。重ねて、畳みかけて、デットヒートでいきましょう。」

ストレット 【ストレット】 stretto 〔伊〕
せき込んで。緊迫して。
stretta(ストレッタ)ともいう。
元は「狭苦しい」「締め付けられた」「緊迫した」の意味。
また次の場合をいう。
(1)フーガで主題の入りが、たたみかけるように重なっていくこと。
(2)曲のコーダなどで、テンポを速め高揚させた部分。

3つのストーリーを交互ではなく、重複しながらも、どの線も忘れずに生かして弾く。
ソプラノ→アルト→バスと出たり、アルト→ソプラノ→バスと出ることもあるが、
バスが出て「これは、シンフォニアなんだ。」と確認することが出来る。
バスは大事。

楽譜を読む時に、楽譜にとにかく書きこもう。
それで、曲が明確に理解出来るから。

これが、今日のレッスン内容。
3つの物事を、全て大切に、重複してもどの線も鮮明に。
まるで、人の生活みたい。
頭を研ぎ澄ませれば、大事なものを全ておろそかにせずに、美しく響かせることが出来るのだろうか。
目指せ4声!
まずは3声!



2016_11
15
(Tue)00:00

草野心平:落葉

落葉

草野 心平


言葉なく。
鰯雲のまぶしい日には。
そよ風にのって華やかに。
唐松のさびた縫針が言葉なく。
ししししおちる。
おちて重なり。

ズミやカエデはひらひらひらひら。
言葉なく。

晴れた日の天はセルリアンブルー。
曇は鉛。
明暗の縞模様になって秋はふかまる。

林のなかを。
時間がいそぎ。
半年生きたもみじ葉たちは。
最後の別れを告げようとする。

言葉なくそして未練なく。
枝々に別れを告げて地に落ちる葉っぱたちの。
未練ないその。
樹木の倫理の当然さ凛々しさ美しさ。

透きとおった沈黙の深みから沸く。

天然の。
金の竪琴。


 


★毎日、いろんなことがある。
どの会社にも、どの学校にも、どんな仕事にもいろんなことがある。
男の人にも、女の人にも、子供にも、お年寄りにも、
どんな職業の人にも、かなしいことも、楽しいこともある。

みんなといると嬉しいけれど煩わしいし、ひとりでいると落ち着くけれど寂しいし、
人間はなんて我儘なんだろうね。

今日は、空を見上げると、とてつもなく青い色をしていてビックリ。
空色よりとても青い空。
明るい季節の終わりに、とびきりの色を見せてくれているんだね。

雨の日も、晴れの日も、毎日一度は空を眺められるといいね。

2016_11
10
(Thu)20:26

ポーラ美術館コレクション モネからピカソ、シャガールへ

Masterpieces of the Pola Museum of Art
: From Monet to Picasso and Chagall
 


箱根に一度でも行ってみたいと、憬れて何年たったでしょう。
箱根には『箱根彫刻の森美術館』や『岡田美術館』等たくさん美術館があるけれど、一番行ってみたいのは、やはり『ポーラ美術館』。

隣県の宮城県美術館で、ポーラ美術館展をすると聞いてウキウキしていました。ポーラ美術館所蔵のたくさんの作品。モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン、そしてピカソ、シャガールまで展示されるんですからね。職場内で行った方の話を聞いて、たいへんに焦っていましたが、閉展間際の、11月10日にようやく行ってまいりました。
 
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クロード・モネ 《睡蓮》 1907年 ポーラ美術館

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パブロ・ピカソ《花束を持つピエロに扮したパウロ》1929年 ポーラ美術館

満足で、大満足ではあったのですが、もっと見たい気持ちにもなりました。これは不満足というのか、欲が深くなったというのか。
「やっぱり、いつかは箱根のポーラに行くぞ!」という気持ちが強まりました。
もっともっと、ゴッホやピカソを見たいなと思ったのです。

宮城県美術館に行ったのは、はじめてでした。
外観はタイルがたくさん敷き詰められていて、空間がとても素敵な建築です。
彫刻もたくさん置いてあり、外を歩くのもうきうきした気分になりました。





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